鷹司--たかつかさ 鷹司(たかつかさ)家は、五摂家のひとつで公家である。
鐮倉時代中頃、藤原氏北家嫡流の近衛(wèi)家実の四男兼平が祖。家名は平安京の鷹司小路に由來する。家紋は牡丹。 戦國時代、鷹司忠冬を最后に一度斷絕したが、江戸時代初期、二條晴良の子の信房が鷹司家を再興し近代まで続く。1743年、閑院宮直仁親王の皇子である鷹司輔平が鷹司家を継承した。江戸后期から幕末にかけて鷹司家の當主が関白を務める機會が多く、特に鷹司政通は30年余りにわたって関白を務めた。 また、信房の娘の孝子が徳川家光の正室となったことから、弟である鷹司信平は、松平を名乗ることが許され、天皇に仕える公家から、徳川家の旗本へと転身した、この武家の鷹司家は、代を重ねるごとに加増され、最終的には上野吉井藩主家となった。